正しいって好きじゃない
こんにちは、セピア猫です。
春の風はどうしてか大学生の頃を思い出させる気がします。
高校生までは精神的にほぼ死んでいたので、私が自分で生きているなと実感し出したのは大学に入ってからなのです。
生きるようになってから失敗もたくさんし、失ったものもたくさんありましたが、得たものもたくさんあります。何かを得るときは何かを失うものです。多分、そういうものです。10年経って、やっとそう思えるというか、自分を宥められるようになりました。
だから今、霧の中で必死に生きている人がいるのなら、自分を信じて自分で選んでほしいなと思います。それが人にどう思われるとしても。
あのときした選択はどれも、正しくはなかったかも知れませんが、私にとっては必要でその時できる最善でした。他の人を傷つける結果になることが多かったのは否めませんが。
正しい人って、正しいんだと思いますけど、好きじゃないです。
「それは正しくない、間違っている」って怒る人たちは、正しさの鎧の中に、自分の気持ちを隠している気がするんです。
気持ちを見せてくれた上で怒られるなら、ああ、この人は悲しいんだなとか、悔しいんだな、そう感じさせてしまったなと思えるんですけど。
「間違っている!」「改めろ!」では、知ってるよ、その上でこうするしかなかったんだよって思う。言わないけど。そう言う人たちはわかってくれそうにないって思ってしまうから、言うのを諦める。
共通の規範を破ったことに対して、社会的な制裁が下るのは理解できる。社会で気持ちよく過ごすための共通認識があって、それを守ることで得られる利得があるから。
そうでなくて、明らかに個人的な感情が渦巻いているのに、それをぶつけたいという動機で正義の仮面をかぶるのがカッコ悪いし、好きじゃない。
正しくなくても、私は私の感じたことを大事にしたい。
全身でいっぱい感じてきたことが、私の今を作っています。
10年前の私に言ってあげたい。大丈夫だから自分の選択をしなさいって。